「キャリアの扉にドアノブはない」(2012.4.1 朝日新聞)。

 
仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるものだと僕は考えています。「天職」のことを英語では「コーリング」とか「ヴォケーション」といいますが、どちらも原義は「呼ばれること」です。僕たちは、自分にどんな適正や潜在能力があるかを知らない。でも「この仕事をやってください」と頼まれることがある。あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ、そういうふうに考えるように学生には教えてきました。
(中略)
「キャリアのドアにはドアノブがついていない」というのが僕の持論です。キャリアのドアノブは、自分で開けるものではありません。向こうから開くのを待つものです。そして、ドアが開いたら、ためらわずそこに踏み込む。
(「仕事力」 内田樹が語る仕事1 2012.4.1朝日新聞朝刊)


私 「おまえはいったい、何になりたいんだ?」
倅 「わからないんだよね」
私 「わからないじゃ困るだろう」

自分だって、中学生の頃、何になりたいのかなんてわかりはしなかった。
大学生になってからも、何になりたいのかわからなかった。
今だって、わかっていると言いがたい。
きっと、一生わからないまま、墓に入るのに違いない。

だから、息子に説教なぞできる立場ではないのであるが、一応偉そうに言ってみる。

巷間あふれる自分探しだのキャリア適正だのにうんざりする中、内田論には救いがある。
しかし、この言葉は、村上春樹の小説のようにわかりにくさを含んでいる。

呼ばれるといっても、どうやったら呼ばれる状態になるのか。
まずは、働くことだ。
かといって、「何をして」働くことが自分にとって一番よいことなのか。
そうやって、この問題は無限ループに突入するのである。

トシを取ると、確かに「呼ばれる」時があることがわかる。
実際に人に呼ばれることもあるし、誰に呼ばれなくても「仕事」に呼ばれていると思うこともある。
呼ばれたときに、その場所に行かなかずとどまったことを、多少後悔したりもするのである。

・「内田樹が語る仕事-1 キャリアの扉にドアノブはない」(2012.4.1 朝日求人)
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Commented by Gabrielle at 2012-04-02 04:14 x
そう、できることなら12-13歳から、学校行きながら、いろんなことで徒弟でもできるといいですね。
とりあえず、いい大学に行って、有名な会社に入るって言うのは、親にとっては良かったかもしれないけど、今考えれば、随分アバウトだったよな~と思います。
結局学校行くのは、その後喰っていくためなわけで。それが小さい頃からわかっていれば、見方が変わりますよね。
Commented by bunkasaba at 2012-04-02 22:15
>Gabrielleさん

これは、永遠の課題ですね。
興味があることを職業にするのか、自分の価値観に合うものを職業にするのか。
われわれの時代は、モラトリアムと言われておりましたからね。いい時代でした。かといって、適職を見つけられたわけではないのですが・・・。
by bunkasaba | 2012-04-02 00:41 | 会社 | Trackback | Comments(2)