2024年 06月 29日
鍋を買う。
10年前、1000円で買った雪平鍋が、腐食してきたからだ。アルミだから、溶けたり欠けたりするのはやむをえない。
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届いたステンレス多層鍋は、無駄に光り輝き、雑然としたキッチンに置くとまるで現実味がなかった。
しばらくフタを取ったり裏返したり、ためつすがめつ眺めて思う。きっと、「非日常」を形にすると、こんな物体になるのだろうと。
握りやすい頑丈な取手が、リベット留めされている。きっと、自分より長持ちするに違いない。ビタクラフトの雪平鍋の出来のよさに驚き、ソテーパン、フライパン、そして宮崎製作所の20センチ鍋を順次注文。大腸ポリープを取らなかったら、決してこんな買い物をすることはなかっただろう・・・。
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9年前、500円玉貯金をはたきビルトインコンロを交換したとき、鍋を全部捨てようと思った。我が家の鍋はことごとく黒ずみ、ピカピカのコンロと一緒に使う気がしなかったからだ。
それから何度も、ボロボロの鍋を買い換えるため、金物屋に行った。行きつけない百貨店におもむいた。河童橋にも行ってみた。
目の前にある鍋は、機能的でどれも美しく輝いている。ル・クルーゼや、ビタクラフトの箱を抱えレジまで持って行ったが、何度も思いとどまり、結局、黒い鍋を磨きながら使ってきた。
隣にあるGEOの鍋の方が安い。いや、その隣の1000円の鍋でも十分なんじゃないか。高い鍋はいらない。
いやいや、そもそも鍋なんて買わなくても煮炊きできるじゃないか。食器と鍋を買い替えるお金が貯まった後でも、自問自答を繰り返して長い間、鍋を買うことができなかった。(唯一の例外が、もらったSTAUB鍋)
車は走ればいいし、冷蔵庫は冷えればいい。鍋は軽くてお湯さえ沸けばいい。機能だけ求めるなら、多くの買い物は安くつく。
しかし、面倒なことに、われわれの購買行動は、常に「所有欲」や「見栄」に左右されている。ココロの隙間をモノで埋めると、買い物で「自己肯定感」が増した気さえする。
週末に買い物をしたり、外食に出かけるだけだったら「軽」でいいのに、「高級外車」を買ったりするのだ。近くのうどん屋にずらり外車のエンブレムが並ぶ光景を見て、人間ってフクザツな生き物だなぁとつくづく思う。
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買い物は嫌いだし、鍋を買っても所有欲は満たされない。毎日、「生きるための料理」はしても、人を呼んでパーティーをすることはない。
ビタクラフトでも中ぐらいのラインナップだが、必要以上に高級な鍋を、9年越しに買ってしまった。
重い上、思うほどお湯の沸きが速いわけではないし、「火力MAXは絶対禁止」と癖のある鍋だが、頑丈さと洗いやすさには満足している。
大腸ポリープ切除の保険金がなかったら、きっと西友で784円の雪平鍋を買い、お茶を濁していたのだろうと思う。




