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国語辞書について考える(舟を編む~私、辞書つくります)。

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NHKのドラマ10「舟を編む~私、辞書つくります」を見て、ふと思った。

昭和から平成に年号が変わる頃、国語辞書を3冊買った。3年間に、3冊。つまり、今から35年前、手元に3冊国語辞典があった。

その後、1996年に、さらに1冊。国語辞典は4冊に増殖した。なんでそんなに辞書を買ったのか?今となっては、記憶は霧につつまれ、思い出すことができない。謎だ。気の迷いとでもいうしかない。ほら、誰にでもあるでしょう。気の迷いで何かを買ってしまうのは。

ところで、漬物の重しにしか使われないボクの辞書たちは、今、いったいどこにいったのだろうか。

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1990年当時は、インターネットもパソコンも、勿論、スマホだってない。だから、言葉の意味が分からないときは、①人に聞く②辞書で調べる③知っているふりをし続ける、この3通りしかない。

…ということを書いていると、まるで自分が石器時代の人間になった気がするが、これは1万年前ではなく、わずか35年前の話なのだ。

そういえば。パソコンもスマホもない時代、どうやって仕事をしていたのか、いまや思い出すことも難しくなりつつある。

電卓で売上を集計し、資料は複写機でコピー、見積書はFAXで送る。プレゼンは、つるつるするフィルムに字を書き、オーバーヘッドプロジェクターというまぶしい機械でプレゼンをした(ような気がする)。

コマネズミのように働いた結果、売り上げ集計のタテヨコは一致せず、コピー機は用紙切れ、送ったはずのFAXは行方不明になった。

こんな暗黒時代の辞書には、「スマホ」はおろか、「インターネット」や「クラウド」という、現代社会の根幹を支えるIT用語は載っていない。

1996年当時、パソコンが一定数普及していたので、「新明解国語辞典第四版」にかろうじて「パーソナルコンピュータ」が載っている。だが、携帯電話は普及しかけていたし、インターネットプロバイダーも増えていたにも関わらず、「携帯電話」も「インターネット」も掲載されていない。(辞書を買ったのは1996年でも、奥付を見ると第四版のはっこが1989年だから、それも当たり前ともいえる)。

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仕事に疲弊し、辞書のことなどすっかり忘れ果てていた頃、赤瀬川源平の「新解さんの謎」を読んだ。1996年の事である。

「新明解国語辞典」がヘンな辞書であることは、今さら語るまでもない。どれほど変かは、ググるとたくさん出てくるし、YouTubeにも動画がたくさんある。

脱力系エッセイを書く人だから、この本を単なる「フィクション」、よみものとして読んだ。おふざけが過ぎるとさえ思ったが、徐々に新聞や他の雑誌でも新明解の語釈が紹介され始め、ついに新明解を買ってしまった。四冊目の国語辞典である。

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「新解さんの謎」はフィクションではなかった。辞書の語釈はヤケにナマナマしく、そして、妙に用例が長い。

こんな評判が長年にわたってジワジワ広がったせいかどうなのか、いつの間にか「日本一売れている」国語辞典になってしまっていた。

この辞書の巻頭、「辞書に求められるもの(第四版 序)」では、既存辞書を一刀両断に斬り捨てる。日本の辞書の現状を嘆き、憂いているのだ。一方で、物凄い自信にも満ち溢れている。

しかしながら、辞書後進国の悲しさ、どの辞書を見ても満足を覚えることは めったに無い。そこに載せる用例はあまりに貧弱であり、当然の結果として語義の分析は十分ではない。鋭さなど求むべきもない。語釈は十種一様であり、千篇一律である。付録の多さ本文の組み体裁に僅かに自己主張をするのみ。
 既に団栗の背比べであってみれば、わが国においては、辞書の比較は無意味(ナンセンス)に近く、蒐集は多く好事家の域を出ない。複数使用の如きも、新聞における二~三紙併読に類する意義(メリット)を積極的には持ちえない。

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ドラマ10「舟を編む~私、辞書つくります」は、とてもよく出来たドラマだった。

辞書編纂の工程が紹介され、言葉の意味によるすれ違いも巧みに盛り込まれている。一方、12年前に公開された映画は、当時話題になったし、その後何度もテレビで放送されたが、ついに通して観ることができなかった。理由は、前段があまりに暗く、地味だったから、である。

先日、初めて通して観た。

ドラマとあまりに構成が違うことに驚く。映画での岸辺みどり役は黒木華だったが、エピソードは少ない。ドラマでは、「ファンション誌の読モ出身」の設定で、最初から池田エライザが登場する。時代は2017年、辞書編纂中にコロナの流行まで盛り込んでいる。スマホ・タブレットが登場するのは、当たり前である。

それにしても、NHKのドラマは、女優の起用が巧みだ。「この人、誰?」と思う人を主役や脇役で抜擢するが、どれも役に見事にマッチしている。「舟を編む」も、主役が池田エライザでなければ、最後まで観続けることはなかったかもしれない。

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四冊目の国語辞書「新明解国語辞典第四版」を買ってから、早29年。

その間、ひとびとはすっかりスマホに脳みそを奪われ、不完全な言葉で短いメッセージをやりとりしている。辞書で意味を確認しよう、そんな奇特な人は見たことがない。そういう私も、言葉の意味を勝手に想像して使っている。言葉は変わりつつあるが、私の辞書も記憶も、アップデートされないままだ。

そこで、「大辞林」と「新明解国語辞典第八版」を一度に購入した。手にして、妙に満足した。アプリで引くことさえできる。失われた30年。私には、辞書が失われていたのだ。この間に買ったパソコンやワープロの数々と、費やしたお金のことを思った。

ということを話すと、「何か悩みがあるなら、誰かに相談した方がいいですよ」と言う人がいた。別にヤケクソで辞書を買ったわけじゃないし、マニアでもないのだ。

だが、辞書が何冊も家にあると「何か人として問題を抱えている」と思うらしい。だから、辞書のことはあまり人には言わないようにしている。













by bunkasaba | 2025-08-28 22:34 | 生活 | Trackback | Comments(0)