2025年 10月 19日
上野の森を散歩する(運慶-興福寺北円堂)。
先日、上野に美術展を見に行った。
上野の森は広い。
動物園はじめ、美術館・博物館が4つ散在しているが、それぞれの美術館はわりと距離がある。
結局、この日の歩行距離は、12km、約2万歩。長すぎる散歩となった。
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山形の友人から招待券をもらったので、東京都美術館に出かけた。何でも、「奥様が描いた絵が展示される」らしい。
酷暑の後、ながらく天気が安定しなかったが、久しぶりに秋らしい天気で気持ちのよい散歩日和だった。
噴水公園前で行われていたヴァイオリンコンサートに立ち止まり、うっかり芸大の方に行ったり、スターバックスで一休憩したり、遠回りの挙句、ようやく「東京都美術館」に到着した。
展覧会の絵は、巨大で抽象的な絵が多かった。
近づいたり離れたりして絵の動機やモチーフを考えるかたわら、どんな巨大なアトリエで描いているのだろうか、絵具代やカンバス・額装、はたまた搬入・搬出代はいくらかかるのだろうか…と、美術鑑賞に似合わぬ下世話なことに思いをはせながら、絵を鑑賞した。
数年前、「若冲展」を見に来たとき、70分待って入場した展示会場は、まるで「満員電車」だった。
鑑賞したのは若冲ではなく、人の後頭部だったのだ。途中で鑑賞を放棄し、別の会場で開催されていたアマチュア作家の絵を見たのだが、むしろこちらの方が興味深かった。
昨日は、「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が開催されていた。空いていたら見て帰ろうと思ったが、甘かった。既にチケット売り場は長蛇の列。
「ゴッホ好き」や「美術愛好家」が、これほど多いのかはなはだ疑問だ。と思う私もまた、美術フリークでもないし、気が向いたときに展覧会に行くだけの愛好家未満に過ぎない。
ゴッホの絵は直接間接に目にしているし、最近展示会に行った気もする。振り返ると、9年前、同じ美術館で開催された「ゴッホとゴーギャン展」を訪れていた。今回と展示される絵は異なっているが、テオとの手紙のやりとりなんかは、このときも見たはずだ。
ゴッホ展はパスして、美術館をあとにした。
学生の頃、安宿に泊まりながらヨーロッパを周り、うんざりするほど絵を見た。
オルセーが完成する前年のことで、なにげなくルーブル近くの「掘っ建て小屋みたいな美術館」に入ったら、「美術の副読本で見た有名な絵画」が、山ほど、しかもそっけなく展示してあり、腰が抜けるほど驚いた。(おそらく今のジュ・ド・ポーム国立美術館)
2016年、六本木の国立新美術館で行われたルノワール展は、展示数100点を超す充実ぶりだったが、中でも、初来日となった「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」に目を引かれた。
有名な作品なので展示自体に驚きはないが、真筆を目の前にすると、その多幸感あふれる大きな絵から、20分近く離れられなかった。今になって思い返せば、40年前もあの「掘っ建て小屋みたいな建物」で見ていたのだ。(裏口みたいなところから入ったし、多分仮設だったのだろう)
ナショナル・ギャラリー、ルーブル・プラド、ウィーン美術史美術館と、行くには行ったものの、名画もただ眺めただけになり、今思うともったいないことをしたと思う。
1994年、国立西洋美術館で開催された「バーンズ・コレクション」には、2時間並び入場した。だが、どんな絵を見たのか、もう記憶は薄い。長らく門外不出となっていた印象派の絵画ばかりだったと思うのだが、いろいろ揉めた末、また見るためにはフィラデルフィアまで行くしかない。
今になって、いろいろ過去に見た絵を思い出してみるが、絵をたくさん見たからといって「心が豊かになる」「感性が研ぎ澄まされる」といったことは、決してなかった。おそらく、私は今後もそんな境地には到達しないだろう。絵の技法も分からない。唯一、あるとすれば精神的な「デトックス」に近い効果を感じることだろうか。
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まだ午後3時前なので、国立東京博物館で開催されている「運慶展」に行ってみる。
こちらも大盛況である。たが、仏像が台座の上にあることから、「人の後頭部鑑賞」は避けられた。鑑賞ポイントがわからず展示点数も少ないせいか、人の流れも早い。
60年ぶりの公開、すべて国宝。だとしても「たった7体を見るのか」と、チケット購入前に少し躊躇したが、会場に入ると仏像の迫力に圧倒された。
会場正面に据えられているのは、「弥勒如来坐像」。「弥勒菩薩」ではないのか?と思ったが、「弥勒菩薩」が現在なら、「弥勒如来」は56憶7千万年後の未来の姿であるという・・・。正直、この菩薩と如来の関係性は理解できない。神も仏も無縁の生活を送っているが、お寺に行ったときのような静かな気分になる。
ちなみに、「仏像が背負っている炎」みたいなもの(光背)は、展示会にあたり、背面の掘り具合が鑑賞できるように外されていた。
これまで、各地の寺社仏閣でさまざまな仏像を目にしてきたが、手を合わせた後は「ホトケほっとけ」である。彫りの技術や、芸術品としての完成度なんか気にすることはなかった。
運慶展を出た後、常設展で他の仏像と比較してみると、「運慶」の作品は、顔と体のバランスや細部の掘り具合など、レベルが異なることがよくわかった。
常設展をひととおり見たあと「法隆寺宝物館」に行ってみた。こちらは場所が分かりにくいせいか、立派な建物の割に人気がまるでない。トーハクの本館は外人であふれていたが、こちらには外人の姿もない。
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by bunkasaba
| 2025-10-19 14:12
| 生活
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