2025年 10月 22日
上野の森を散歩する(運慶-興福寺北円堂)(書き直し版)。

先日、上野に美術展を見に行った。
上野の森は広い。
動物園はじめ、美術館・博物館が4つ散在しているが、それぞれの美術館はわりと距離がある。
結局、この日の歩行距離は12km、約2万歩。
長すぎる散歩となった。

東京都美術館へ
山形の友人から招待券をもらったので、東京都美術館に出かけた。
何でも「奥様が描いた絵が展示される」らしい。
酷暑の後、ながらく天気が安定しなかったが、久しぶりに秋らしい天気で気持ちのよい散歩日和だった。
噴水公園前で行われていたヴァイオリンコンサートに立ち止まり、うっかり芸大の方に行ったり、スターバックスで一休憩したり。
遠回りの挙句、ようやく「東京都美術館」に到着した。
展覧会の絵は、巨大で抽象的な絵が多かった。
近づいたり離れたりして絵の動機やモチーフを考えるかたわら、
どんな巨大なアトリエで描いているのだろうか。
絵具代やカンバス・額装、はたまた搬入・搬出代はいくらかかるのだろうか…。
と、美術鑑賞に似合わぬ下世話なことに思いをはせながら、絵を鑑賞した。
ゴッホ展の行列と記憶の絵
数年前、「若冲展」を見に来たとき、70分待って入場した展示会場は、まるで満員電車だった。
鑑賞したのは若冲ではなく、人の後頭部だったのだ。
途中で鑑賞を放棄し、別の会場で開催されていたアマチュア作家の絵を見たのだが、むしろこちらの方が興味深かった。
昨日は「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が開催されていた。
空いていたら見て帰ろうと思ったが、甘かった。
既にチケット売り場は長蛇の列。
「ゴッホ好き」や「美術愛好家」が、これほど多いのかはなはだ疑問だ。
と思う私もまた、美術フリークでもないし、気が向いたときに展覧会に行くだけの愛好家未満に過ぎない。

ゴッホの絵は直接間接に目にしているし、最近展示会に行った気もする。
振り返ると、9年前、同じ美術館で開催された「ゴッホとゴーギャン展」を訪れていた。
今回と展示される絵は異なっているが、テオとの手紙のやりとりなんかは、このときも見たはずだ。
結局、ゴッホ展はパスして、美術館をあとにした。
ヨーロッパで見た絵たち
学生の頃、安宿に泊まりながらヨーロッパを周り、うんざりするほど絵を見た。
オルセーが完成する前年のことで、なにげなくルーブル近くの「掘っ建て小屋みたいな美術館」に入ったら、「美術の副読本で見た有名な絵画」が山ほど、しかもそっけなく展示してあり、腰が抜けるほど驚いた。
(おそらく今のジュ・ド・ポーム国立美術館)

2016年、六本木の国立新美術館で行われたルノワール展は、展示数100点を超す充実ぶりだった。
中でも、初来日となった「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」に目を引かれた。
有名な作品なので展示自体に驚きはないが、真筆を目の前にすると、その多幸感あふれる大きな絵から20分近く離れられなかった。
今になって思い返せば、40年前もあの「掘っ建て小屋みたいな建物」で見ていたのだ。
(裏口みたいなところから入ったし、多分仮設だったのだろう)
絵を見る意味
ナショナル・ギャラリー、ルーブル、プラド、ウィーン美術史美術館と行くには行ったものの、
名画もただ眺めただけになり、今思うともったいないことをしたと思う。
1994年、国立西洋美術館で開催された「バーンズ・コレクション」には2時間並び入場した。
だが、どんな絵を見たのか、もう記憶は薄い。

長らく門外不出となっていた印象派の絵画ばかりだったと思うのだが、
いろいろ揉めた末、また見るためにはフィラデルフィアまで行くしかない。
今になって、いろいろ過去に見た絵を思い出してみるが、
絵をたくさん見たからといって「心が豊かになる」「感性が研ぎ澄まされる」といったことは、決してなかった。
おそらく、私は今後もそんな境地には到達しないだろう。
絵の技法も分からない。
唯一、あるとすれば精神的なデトックスに近い効果を感じることだろうか。
運慶展へ
まだ午後3時前なので、国立東京博物館で開催されている「運慶展」に行ってみる。
こちらも大盛況である。
だが、仏像が台座の上にあることから「人の後頭部鑑賞」は避けられた。
鑑賞ポイントがわからず展示点数も少ないせいか、人の流れも早い。
60年ぶりの公開、すべて国宝。
だとしても「たった7体を見るのか」と、チケット購入前に少し躊躇したが、
会場に入ると仏像の迫力に圧倒された。
会場正面に据えられているのは「弥勒如来坐像」。
「弥勒菩薩」ではないのか?と思ったが、
「弥勒菩薩」が現在なら、「弥勒如来」は56憶7千万年後の未来の姿であるという…。
正直、この菩薩と如来の関係性は理解できない。
神も仏も無縁の生活を送っているが、お寺に行ったときのような静かな気分になる。
ちなみに、「仏像が背負っている炎」みたいなもの(光背)は、展示会にあたり、
背面の掘り具合が鑑賞できるように外されていた。
これまで各地の寺社仏閣でさまざまな仏像を目にしてきたが、
手を合わせた後は「ホトケほっとけ」である。
彫りの技術や芸術品としての完成度なんか気にすることはなかった。
運慶展を出た後、常設展で他の仏像と比較してみると、
「運慶」の作品は、顔と体のバランスや細部の掘り具合など、レベルが異なることがよくわかった。
法隆寺宝物館と静けさ
常設展をひととおり見たあと、「法隆寺宝物館」に行ってみた。
こちらは場所が分かりにくいせいか、立派な建物の割に人気がまるでない。
トーハクの本館は外人であふれていたが、こちらには外人の姿もない。

夕暮れのもつ焼き屋にて
夕方5時過ぎ。
歩き疲れたので、アメ横のもつ焼き屋に入店。
相変わらず、もつ焼き屋は20代の若者(それもカップルが半分以上)であふれていた。
串2本で180円という安さが魅力なのか、
それとも牛や豚の臓物がZ世代に流行っているのかは分からないが、少なくとも10年前はこんな客層ではなかった。
ありがたい仏像の姿を思い出しながら、息子や娘と同じ年代の若者に囲まれ落ち着かない気分で、もつ焼きを生ビールで流し込んだ。

