「全日本草刈選手権大会」。
2009年 11月 23日
雲はどこかに消え去り、空は真っ青。
日ごろの疲れも、空に放射して消え去りそう。
右脚にチェーンよけのバンドを巻き、
カメラとiPODと1000円札1枚だけもって、荒川沿いを走る。
久しぶりに、赤羽岩淵の水門まで行き、「赤い水門」の中洲で休憩。
随分立派な石碑が建っている。
今までは、遠めに眺めるたび、水門を造った人の記念碑なのだとばかり思っていた。
「石屋のせがれ」の血が騒ぎ、石碑に惹かれるまま近づき、初めてうがたれた文字を読んで驚いた。
「草刈の碑ー農民魂は先ず草刈から」と書いてある。
由来を読み、尚、腰が抜けそうなほどびっくりしてしまった。
せっかくなので、この気迫溢れる文章を、是非ここに記載しておきたい。
由来記
「草刈は日本農民の昔ながらの美風で農民魂の訓練であり発露である。
金肥の流行につれて草刈が衰へ始めたので有畜農業の普及は却って益々草刈の必要を認めたから
草刈奨励の為め有志××り幾多の曲折を経て漸く男女青年団農学校壮年団と四組に分ち
全国に亘って町村大会と選手を選抜し最後に全日本草刈選手権大会を
昭和十三年八月より此の地に前後六箇年開いた。
鎌を競う選手四万余名、熱戦各二時間に亘り両岸に観衆溢れ旗指物なびいて一世の壮観であった。
大東亜戦争のためやむなく中止したが草刈魂を永達に伝ふるため農業国体其他篤志家の寄付を仰ぎ
茲に草刈の碑を建立した。蓋し農は国の大本草刈堆肥は土を作る農業の根本だからである。
昭和三十二年十月
全日本草刈選手権大会理事長 横尾堆肥居士撰」
鎌を競う選手四万余名、熱戦各二時間に亘り両岸に観衆溢れ旗指物なびいて・・・
荒川ごしに川口の高層マンションを望む今となっては、信じられない光景だ。
石碑を建ててまで、後世に伝えたいものは、今で言えば何にあたるのだろうか。
草刈魂はすたれてしまったが、
東京都下を水害から守る水門は、青い門に引き継がれて健在だ。
走行時間 2時間17分2秒
走行距離 37.31km
消費カロリー 1004kcal
・Arakawa Peil(A.P.)。
・風強し(荒川サイクリングロード)。
・荒川の歴史。